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福生寺 (備前市) : ウィキペディア日本語版
福生寺 (備前市)[ふくせいじ]

福生寺(ふくせいじ、ふくしょうじ)は、岡山県備前市大内にある高野山真言宗寺院山号は大滝山、本尊十一面千手観音菩薩(本堂)、大日如来(三重塔)。瀬戸内三十三観音霊場第十番札所、子院の西法院が山陽花の寺二十四か寺第十四番となっている。
奈良時代創建の寺伝をもつ山陽地方でも有数の古寺で、一般には山号の「大滝山」で知られる(山号は境内にあるに由来する)。現在、大滝山福生寺は宗教法人格を有せず、寺は実相院、西法院、福寿院の3つの子院によって維持管理されている。
御詠歌:おおたきの みねよりおつる たきのねは ふくちりしようの みのりぞときく
== 歴史 ==
江戸時代中期の元禄14年(1701年)に書かれた縁起によれば、天平勝宝6年(754年鑑真により創建されたとある。その後、報恩大師が備前48か寺を整備した際にその一つとなった。
平安時代初期、菅原道真が編纂した『類聚国史』の寺田地の項には、「天長5年(828年)6月備前国墾田四町六反為大滝寺田」とあり、法隆寺唐招提寺と並んで記載されておりその古さが窺える。
縁起書によれば、平安時代中期の万寿元年(1024年)に大火により焼亡した。その後、足利尊氏の発願により観応年間(1350年 - 1352年)再興されたとある。僧院は33房を数えたが、康正年間(1455年 - 1457年)の赤松氏山名氏の争いにより山門と三重塔以外は全て戦火により焼亡した。江戸時代、岡山藩主により庇護され明治初期には13房が残っていた。なお、現在の僧院は実相院、西法院、福寿院の3房である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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